酒と女とラーメン

食レポを中心に家庭ハック・子育てなど生活ゴトの出来事を徒然なるままに。 ものづくり系のイベント出席、Web系の勉強会のことも。

Twilogさんで振り返る 2011年3月11日東日本大震災

Twitterでのツイートを記録できる・振り返られるサービスとしてお馴染みのTwilogさんにはいつもお世話になっています!

f:id:rechiba3:20150726005707p:plain

 

1,2年前は、「あれ、この日会社の人とランチに行ったんだっけ?」、「会社に泊まったよな?それともぎりぎり帰ったっけ?」の確認用途で利用していましたw

 

しかし今日という日は、「忘れてはいけない日」を振り返るために開きます。

日頃から防災意識をしっかり持つこと、明日を生きるために備えなければを改めて振り返るために俺々ログ(俺の、俺による、俺のためのログ)としてブログに残します。

twilog.org

 

2011年3月9日 - 0:24 引越し準備で荷造りしていた

 

 

2011年3月は専門学校を卒業する月。

3/12(土)に学生寮を引っ越す予定でした。それに向けて、当時インターン中だった会社に休みをもらい、荷造りをしていたときでした。

 

 

2011年3月10日 - 2:04 連日続く余震

 

 

小さい頃から「そろそろ宮城県沖地震がまた来る!」とかニュース新聞で取り上げられていたため、余震がくるたびに故郷である宮城県の心配ばかりをしていました。

震度3くらいあったら仙台の家族と気仙沼の親戚へメールし、それ以上あったら電話して「大丈夫だよーそっちはー?」などお互いを心配しあってました。

 

2011年3月10日 - 3:24 震度3の余震が来る

 

 

 

ここ最近続く余震を気にしつつも、この日はいつもどおり友人たちと飲み会に行き、帰宅してからは引っ越しの荷造りを引き続き行っていました。

 

2011年3月11日 - 14:46 地震発生

 

 

 

 

一人で引っ越しの荷造りをしているときでした。

余りの強い揺れに、ノートPC抱えて机の下へ潜り込み、おさまるのを待ちました。

荷造りで積み上げたダンボールは崩れ落ち、家は軋み、廊下からは寮生の悲鳴が聞こえました。

 

東京都練馬区では5強を観測。

震源はどこだ!と思い、急いでPCを立ち上げて、Yahoo!天気・災害 地震情報をひたすらF5連打していました。(なんと迷惑)

 

ようやく更新された画面で見たものは、「宮城県 震度7」という表示。

「はぁ?震度7!?ありえない!」と思い、部屋を飛び出して1階のTVのある部屋へ飛び込むと、寮生が集まってニュースに釘付けでした。

Web上で確認した震度7地震は間違いなかった。

 

オーストラリアから日本へ留学していた寮友達は、怯えきった表情で大泣き。親御さんに呼び戻され、翌日すぐに帰国して行きました。

こわかったよね。。

 

2011年3月11日 - 15:24:02 連絡が通じ始める

 

 

 

ぼちぼち電話やメールが通じて嬉しかった。

弟から電話が来た時は本気で泣いた。もう会えないなんて、無理。

当時の恋人はずっとSkypeオンラインにしてくれてて、東京の友人先輩方もTwitterにいてくれてて、とても心強かった。

 

大事な人がたくさんいる土地が、被災した。離れていると、こんなにも何もできない自分のことを憎く思えたし、悔しい思いで泣きたくなった。

私ができることは、ハッシュタグつけてつぶやいたり、ニュースが見れない友達にメールで状況を伝えることだけだった。

 

宮城、岩手、山形、福島にいる友達や学校の先生とかにも連絡したところで、津波の映像が届き始める。

その映像に現実味がまったくなく、

「あ、卒業式って予定通りやるのかな」

「学校に確認してクラスのメーリングリスト流さないと」(当時学級委員長)

「卒業パーティーリスケだろうなぁ、お店にキャンセル連絡しないと」

などなど思いつく限りの手配を始めた。

 

後日、あの気仙沼港街の火の海に叔母がいたことを知る。(ビルの屋上に避難していた)

本人からは「ほんと死ぬかと思ったけど、いや〜、生きてて本人がびっくりだよ」と聞いた。生きてる心地はしなかっただろうなあ。

 

交通手段もなく、お金も無い状況、一人で離れた場所にいるのはめちゃくちゃ恐怖だったけれど、被災地の人たちに比べたらと思うと

自分が情けなかった。自然災害って備えることはできても、事前に防げないからね、怖いね。

 

当時、ツイキャスやUSTREAMでニュース映像流してくれた人、本当にありがとー!

 

2011年3月12日 - 2:37 地元友人からの連絡が増え始める

 

 

mixiコミュニティにはとてもお世話になりました。

当時、地元の友達はFacebookmixi。LINEもなくて、Twitterもしている人少なくてって時。

仙台の様子は、mixi見たらバンバンアップロードされていて、電気復旧後のボイス更新スピードは本当にすごかった。

当時保守運営されていた方々、ありがとうございました!

 

2011年3月12日 - 3:59 続いて別地方でも大きめ地震

 

 

 

ばんばん誘発されてて怖かった。

 

2011年3月12日 - 18:01 災害グッズとして用意しておくもの、ラジオ。

 

 

 

当時、母は某社のコールセンター勤めだった。

そこが災害グッズを全員分配給してくれたらしく、ラジオでようやく状況が把握できたとか。

 

本来の予定では、母が引っ越しの手伝いと挨拶で11日に東京に向かう日だった。

移動のタイミングじゃなくてよかったな、と不幸中の幸いにも思ったりした。

 

2011年3月13日 - 1:21 海沿いの故郷の安否をようやく知る

 

 

 

 

父方が漁師の家系で、宮城県の最東北地、唐桑半島にあります。

私の本籍地です。

父方実家は堤防一個はさんで隣が海。波の音が家まで聞こえるようなところ、きっと・・・と思っていましたが、

奇跡的にその堤防が頑張ってくれて、波は逆側の平地から届いて1階床上までの浸水で済んだとか。不幸中の幸い。

近しい親類は全員無事の確認ができ、心から安心できたことを覚えています。

 

でも、その後、夏に顔を見るまではずっと心配で不安で心にもやもや〜としたものが残っていました。

 

2011年3月13日 - 3:08 役立たずに逃げ道を

 

 

前述のとおり、当時の私は役立たず。無力。なんもできやしなかった。

4年前、震災直後に上記のツイートをしていた。きっと、震災中にメディアやエンタメのあり方みたいなツイートなどをたくさん見て、「経済回復に貢献する」を自分の心の逃げ道として光にしていたのだと思う。

影響力のある人はすごい。逃げ道を照らしてくれた。今できることはないから温存する、その先を考えること、それが私にできることかー、と気づかせてくれた。

誰に影響されたかは覚えていないけれどwありがとうございました。

 

あとやっぱらーめんは心の栄養らしい。

 

2011年3月15日 - 16:46 福島県新地町の友人と連絡が取れる

 

 

ニュース映像で相馬市津波に飲まれているもの、福島第一原発事故のこと、いろいろ流れてる中で気がかりだったのは、

相馬群新地町に高校時代の友達が在住していたこと。

 

11日の地震発生時、手元にあるケータイのアドレス帳片っ端から、仲の良い友人や元バイト先など、全員に連絡をしました。

彼女からは2日経っても3日経っても連絡が来ない。

そんな、もしかして、でも、簡単に死ぬような女じゃねえぞ、なんて思って毎日「明日こそ連絡取れますように」を祈って夜を越しました。

 

そして15日の夕方、突然彼女の名前がケータイディスプレイに表示されました。

驚きと怖さと緊張入り交じる中、通話ボタンを押すと聞こえる「れっさぁ〜〜〜ん!」の超元気なキンキン声。

 

「充電器なくてさー!」

「電源つけたっけ、れっさんからの着信履歴、超あんのね!」

「家に取りに行ったっけさー!ねぇの!家も!部屋もなくてっさー!卒アルなくなったしやー!」

 

その相変わらずのハイテンションになんだか疲れて、泣きながら爆笑したのを覚えています。

今では彼女も2児の母親です。

 

ジャンプ難民

 

 

ジャンプが買えない!大変だ!!みたいなツイートが仙台から届くように。

送るかと思っても宅配困難地域指定でだめだった!まだ道路整備も追いついていないしね、物資供給も混んでるしね、って状況だったね。

 

物資供給パイプが遅延してるってことで、ここらへんで東京でも風評被害が。

トイレットペーパーがなくなると・・・!

どこのお店に行ってもトイレットペーパーはなくて、公共施設から持ち出す人まで現れて、東京でトイレットペーパー置いてあるところなんてないんじゃないかな!?って状況。

当時、引越ししたて!!!!トイレットペーパーが買えない!やばい!!うんこができない!

 

ようやく見つけた都心のど真ん中のドラッグストアの一角、高いやつしかなくて400円かけて12ロールを買いました。

 

記憶は風化してしまうから

 

防災意識を失わないために

備えなければいけないですね。そんな思いをこめて、ログりました。自分のために!

来年、再来年、ちゃんと読み返して(そういやブログに残してないなと思って。)その都度これやったほうがいいな、とか発見していきたいです。

災害グッズを揃えておかないとならんし、歩きやすい靴を職場に置いておくとか、いざってときの避難場所や合流場所のすり合わせとか。

 

私が両親弟2人とFacebookで繋がったのは、震災に備えての連絡手段の確保です。

3姉弟ではLINEグループ作って連絡取りやすいようにしています。

 

同棲中の彼とは、職場から自宅までの帰宅経路、途中合流できそうな公園・学校の打ち合わせをしています。

家のドアが開かない時の連絡先も控えています。

基本はあれね、所属組織の災害マニュアルに則らんとね。

 

お金をいっぱい落としたい

復興はまだ100%しきれていないから、もっと東北にお金を流すことに少しでも貢献できたらなあと思っています。

11月に帰省がてら塩釜に行った時も、津波到来時の展示写真観て悲しくなりました。

 

THE地元ってところではないけれど、子供の頃から何度か遊びに来ていた土地がこんなになるのかーって。

(塩釜の朝市でさんまを買って、神社にお参りして、馬に人参あげて帰宅がとても懐かしい)

それもあって、想い入れの少しある塩釜で挙式をすることを希望しています。(鹽竈様のおられる土地ですぞ!)

 

明日もお仕事してちゃんとお賃金もらって使って経済回したるぞー!

よっしゃらーめん食おう!!!!!

 

忘れないあの日 カメラが捉えた3.11

http://photo.kahoku.co.jp/graph/2015/02/18/01_20150218_73050/001.html