よく、目的脳の男性と、共感脳の女性によるコミュニケーションのズレについて「あるあるネタ」として語られているシーンを多く見かけます。
しかしそれは実態と乖離していて、その都度使い分けたほうが人付き合いが楽なことに気がつけます。
そして、この本を読んでからは、男女問わず、共感性のコミュニケーションも課題解決的なコミュニケーションも両方使い分けて取るように心がけることを強く意識できました。
それは、「男性に向けて共感性のコミュニケーションを取らなかったことにより傷付けていたかもしれない」と自分自身の加害性を意識できたからです。
本の内容は研究会メンバーが当事者研究として座談会を開いたり、ワークショップの実践、団体の視察などの経験が綴られており、非常に勉強になりました。
本の内容を振り返りながら、自分の抱いた感情を整理したいと思います。
非モテ研究本は弱者男性論の解像度を上げてくれた
非モテ研究本を貸してくれたのは会社の同僚。
雑談の流れで紹介され、「自分が追体験しにくい属性だ、面白そう」が動機となり借りました。
その時はまだ、「どうせ弱者男性論の話だろ」って先入観があって、正直楽しみに読んだわけではありませんでした。
弱者男性論はワードのキャッチーさが原因か、声の大きい人に見つかってしまった所為か、なかなか偏った意見や聞いててSAN値が下がるような議論がメディアでは目に付きます。
この本を読み始めた時の陰湿な文章から伝わる雰囲気から、「テンション下がる本だなぁ」と感じたことを覚えています。
それ故に、私の楽天的な考えと比べてしまい、「もっと気楽に考えればいいのに」とか、安易な言葉が頭に浮かびます。
しかし、これは楽天的なんて言葉にすると耳当たりが良いのですが、苦悩している人にとってはとても残酷だし、その人の努力や取り組みを否定する非道い言葉だな、気をつけよう、と思えました。
非モテを述べるにあたって、男vs女で語っていない◎
よくされがちでムカつくんですよね、これ。
だからその前提で研究が進まず、よかった。本当に。
「男社会でマウント取りたい野郎」に運悪く出逢った体験も記載されており、土足で人の心に踏み込む人は男女関わらずどこにでも存在するな、と感じました。
非モテ研究として話は進みますが、非モテは取っ掛かりにすぎなかったことが冒頭のほうで触れられています。
家庭や社会で経験した疎外感や被害経験から始まった自己否定が、
それらを補うために執着した対象からの拒否されたことによる「挫折」と自身が抱く「罪悪感」が重なり、さらに自己否定が根を深く張ることになったと分析されていました。
「女神」、「女神化」というワードに嫌悪感を抱いた
弱者男性論で言う、「女をあてがう」に違い嫌悪感…
「女神」とは、自分に振り向いてくれる、優しくしてくれる女性を指しています。
そして、彼女と交際できればこれまでの不遇な状況から抜け出して一発逆転できると考える。
しかし、こういった背景には、恋愛や結婚が人生の中に登場することが当たり前といった固定概念がある所為かもしれない。(本書では、シンデレラ現象になぞらえてそれに近い冊子についても触れていた)
恋愛リアリティドラマ「テラスハウス」でも似たような現象が生じていました。
リリー・フランキーさんの付き人が出演したときのこと。
付き人が「一発逆転をするための恋愛」をしようとしていることを悟ったリリー・フランキーさんは、「これまでの根暗な思い残しを回収しようとすると、絶対どこかでつまづくから」と忠告しています。
この、自分のトラウマ改善を他者に委ねるところ、それが私が抱いた嫌悪感の正体でした。
ソシオドラマの実践で加害性を暴く
この話題では、女神化した結果、相手に精神的ケアを過剰に期待していたことを「加害性」と解釈しています。
段階を踏まず、拙速なアプローチをしてしまうことにおいてソシオドラマ(ドラマセラピーの手法)でアプローチされる側を体験してみる描写にはとても驚かされました。
好きな人ができると、「あの子も好意を持ってくれているはず」「あの子はきっとこんな子」とポジティブな妄想を広げて恋愛を楽しむ癖を改善しよう、という試みでした。
自分が女性として、「非モテ男性」と「モテるであろう男性」、両方にアプローチされる体験です。
アプローチされる側を体験したときの想いを、筆者は「衝撃は今でも忘れない」「自分が予期していないところで好意を向けられるのは本当に恐ろしい」と感想を述べていました。
その上で、「自分が過去にアプローチした相手も、もしかしたら同じ気持ちだったのでは」とふり返り頭を抱える。
そして、「ただしイケメンに限る」という意識に対して、イケていようがいまいが、好意を持たない人からの誘いが恐ろしいと思った経験を記録していました。
私は非モテ本の追体験はできないのか
感想文冒頭で、「自分が追体験しにくい属性だ」と述べました。
しかし、非モテを根本原因として扱っている本ではないと認識して読み進めると、
「自分も過去の経験によるトラウマから卒業できずにいる」と共通点を意識できました。
そして驚くことに、意識できてからは、
トラウマ卒業を目的に、誰かに加害的になっていないか、私は加害者になっていないか、と解明しようとしており、読んでいてとても心が晴れました。
「陰湿な文章」「テンション下がる本」などと述べたことを謝罪させてください🙇
本書では、非モテに対する解決までいく話ではなかったので、解決策を導き出したがる自分にはモヤる終わり方でしたが、人間(他者であり自分であり)との向き合い方を学ぶいいきっかけにはなりました。
今度はこれを題材にネットラジオ収録したいと思います。